《時計回りとは・・・》
昭和30年代以降は、地価が右肩上がりで推移し、景気の動向と共に急騰したり、足踏みしながら上昇していました。
その動きはまず、阪神間(芦屋、西宮、神戸市南東部)あたりから上がり始め、北摂地域(豊中、吹田、池田)へと飛び火し、東大阪地区(枚方、東大阪)へと連鎖し、やがて、南大阪地区(和泉、岸和田、河内長野)へと広がり一巡(9:50から10:30)していました。この地価上昇の動きを称して関西の地価は「時計回りに動く」と言われてきました。
今はどうかと申しますと、相対的には同様の動きが見られるというか、それを不動産市場が体にしみこませている感じさえ窺えます。そして、地価水準についても、阪神間の平均地価水準を100とすれば、北摂地域が80、東大阪地区60、南大阪地区は40程度と概ねこのような格差がついています。
ただし、一度だけ逆転した時期がありました。それは、関空ができる直前のバブル時期です。
全国的に驚異的な地価高騰の最中、関西空港が数年後に開港するという時期でした。
泉州地域は、それまで考えられなかった過剰な将来への期待感から、地価上昇が続きましたが、関空と大阪市内までの鉄道や高速道路が整備され、泉州地区は、ほぼ恩恵を享受することなく通過都市となったため、バブル崩壊後は、逆に、どこよりも下落幅が強かった時代がありました。
《なぜ、このような地価が形成されるのか》
この質問に明確な回答はありませんが、住宅地の適地として、自然的条件のうち地勢的なものと、人文的条件としての社会的経済的位置によって説明してみましょう。
自然的条件とは、人間にはどうしようもできない土地の地理的位置の固定性や不動性、固定性といったもので、その中で、特に地勢的に見て参考となる例は、古代中国の都市や日本の平安時代の都(例えば平安京など)、にみられるように、北側に山を擁し、南向きに平野が広がり、太陽が東から西へ沈むまで見ることが出来、川が北山から湧き出ているところが好まれました。
阪神間や北摂地域は、地勢的にこれに当てはまること、特に阪神間は、北に六甲山、南に大阪湾を擁し、気候が温暖で、比較的冬は暖かく、夏は涼しいため、国内外から別荘地或いは別宅地として人気がありました。
この点からみれば、東大阪地区は、東に生駒山があって、朝日を眺める時間が遅く、西日が何時までも続くことになるし、南大阪地区は、和泉山脈があって、地勢的に北向き斜面地が比較的多いことがわかります。
次に、人文的条件とは、人間の営みによって社会的にも経済的にも可変し、用途の多様性に伴って街の盛衰に影響を及ぼす条件をいいますが、阪神間及び北摂地区の共通項は、京都・大阪・神戸の三都を直線的に結ばれ、昔から言われる太平洋ベルト地帯の一角を担い、新幹線やJRや阪急、阪神、京阪といった複数の鉄道網、高速道路網、そして、伊丹空港、神戸空港があって、東京や西日本へのアクセスが極めて優れていることです。
このことが、出張することが多いビジネスマンや、転勤族に好まれ、潜在的な住宅需要が強く、モノ・カネ・ヒトが多く行き来するエリアであることが、結果として住宅地価を押し上げているのです。
一方、南大阪地区になると、太平洋ベルト地帯からは外れた位置となり、転勤族等にやや敬遠され、潜在的な住宅需要は少ないといえます。
少子高齢化社会とはいえ、西宮や吹田などは、人口微増状態が続いている反面、南大阪地区では、人口増の地域は皆無に近い。
人口=需要という住宅地の地価を押し上げる要素は、これら地勢的な面での自然的条件および社会的経済的位置での人文的条件の結果となっています。
《この格差は今後広がるのか》
ここまでの話では、如何にも南大阪地区は不便なところとみられがちですが、JRや南海、近鉄という鉄道網でなんば、天王寺、大阪へ直結しており、何といっても関空があることで、国内外を利用する人には便利です。
なぜ、大阪中心部まで同じ時間で通勤できるのに地価が倍半違うのかという理由を考える前に、同じ通勤時間で、敷地が倍買えるなら南大阪地区を求める需要者もいることも事実です。
地価が時計回りに動くというのは、不動産市場が常に相対比較を繰り返し、タイムラグを繰り返しながら地価バランスを形成しているということです。
そういう意味で、一時的なバランスの崩れは今後もあるもの、経済の安定期においては、結果として地価バランスは、前述のとおりであろうと推測されます。
以上
(令和元年5月15日執筆)