⑦文化・教養・大学等を軽視したつけ

東京都23区と主な大都市の大学数と学生数をみると、下記のようになっています。


これをみると、断トツに東京23区が多く、大阪市は都市規模のわりに、最低数となっています。関西という枠で、京都市、神戸市と併せてやっと東京に次ぐこととなります。
大阪市は、産業・人口の過度の集中を防ぐことを目的に1964 年に制定された工場等制限法という法律により、工場および大学が締め出され、産業の発展を制限され、大学という学術分野と学生を抑制してきました。
制定当初は、公害や人口集中を防止するための一定の効果をもたらしたものの、その後大阪の産業の地盤沈下は止まるところを知らず、関西産業界から廃止論を受けて2002年に廃止されました。
今や、産学協同による様々な分野の取組み事業は普通に行われていますが、その機会を大阪市はこの法律により抑え込まれてきたと受け止められても仕方がありません。
それが、東京との経済格差広がりの一因ともいえるのではないでしょうか。
東京の大学を出た学生はもちろんの事、地方の大学出身者も就職先として東京に本社のある企業を目指す。もちろん大阪の大学を出た学生も例外ではありません。
東京一極集中は、単なる人口数の問題ではなく、頭脳の集中も進んでいきます。
鑑定士の目線でいけば、東京と大阪の地価格差においても、このことは否定できませんが、私の大阪人としての独自の意見はもっと根深いところにあります。
江戸時代の後期に大坂には、緒方洪庵を開いた「適塾」という蘭学を教える塾ができ、その塾生に福沢諭吉がいました。が、彼は藩の命により、東京で蘭学塾を開きます。これが、後の慶應義塾大学となりました。
大坂北浜にある適塾は、遺構建物としてそのまま残され、後の大阪大学に発展していきますが、今は豊中市に移転しており、同大学医学部も吹田市に移転しました。
大阪府立大学は堺市、大阪市立大学は、大阪市住吉区杉本町と中心部から外れたところにあり、大阪の国公立大学は、中心部にありませんし、私学についてもほとんどありません。
「大阪は、あきんどの街であり、学術部門は、仕事場にはいらん」という風潮があったのでしょうか。
これでは、最高学府を修めた卒業生が、就職を地元ではなく、東京へと移動してしまいます。
結果として、東京はますます巨大化、大阪は人材不足と頭脳不足でイノベーションが進まず、結果として経済が地盤沈下してきたのではないでしょうか。
東京大学、京都大学などは、都心部にあり、地元への定着率も多い状況となっています。
その都市のエネルギーを学生時代から受けていると、都市に魅力がある限り、ある程度定着性が出来上がります。これが、長年の間に都市の心身代謝が行われ活性化していきます。
大阪は、都心に少しでも店舗や事務所が多い方が商業が賑やかで良いのだという考え方が定着し、頭脳としての大学がその枠外に追いやってきたところに誤りがあったのではないかと思っています。
最近になって、インバウンド効果により、かつてない大阪の賑やかさが一部で活況を呈していますが、今のうちに、中心部に大学のサテライトを造って“観光学科”のような学部を創設して、インバウンド効果を定着させた先を計画・立案させる頭脳を養成していけば、ありし日の“商都”から、来るべき“大観光都市”としての大阪が垣間見られると思います。
安定した地価形成要因は、世代の好循環によりもたらされると思いますが如何でしょうか。


(令和元年7月16日執筆)


2019年07月17日